せっぱつまりこ’s blog

宮城県仙台市及び近郊を中心とした、東北地方の様々な情報について書こうと思います。

本当は黒くなかった? 「伊達の黒船」上

私事になりますが、私はこのブログを「はてなブログ」で書いております。そして同時に、「はてなブックマーク」もやっております。

 

seppatsumarikoのはてなブックマーク

 

そのはてなブックマークで、少し前にこんな記事をブックマークしました。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

ところで実は幕末のいわゆる黒船で来航したペリーよりも約250年前に、もう一人の「黒船に乗った偉人」がいました。その人物は、仙台藩伊達政宗の家来であった支倉常長です。

 

常長は政宗の使節「慶長遣欧使節」としてヨーロッパに渡った人物でキリシタン(カトリック信者)ですが、帰国後はいわゆる禁教令のために表舞台から消されてしまっていました。彼についての記録が少ないのは、一つにはそのためもあります。

 

ところで先述のように常長も「黒船」とよばれた船「サンファンバウティスタ号」(仙台藩内で建造され、「伊達の黒船」とよばれています)に乗って太平洋を渡りましたが、このサンファンバウティスタ号も幕末のアメリカの黒船と同様、コールタールで塗装されていたのでしょうか。

 

結論からいいますと、コールタールは使われておらずそもそも「黒い」色ですらなかった可能性が非常に高いです。

 

第一、コールタールが船の塗装に使われるようになったのはそれこそ日本史でいう幕末の頃であり、政宗の(というか常長の)時代には、コールタール自体が日本どころかそもそも西洋でも作られてもいなかったもようです。

(続く)