せっぱつまりこ’s blog

宮城県仙台市及び近郊を中心とした、東北地方の様々な情報について書こうと思います。

仙台の古層について、私が興味深く思うこと

先日仙台の古層、特に仙台藩伊達政宗が「城下町としての仙台市街」を築く前の仙台については、仙台駅よりも東側により強く影響が出ているということを書きました。

 

これについては色々と興味深いことも多く、特に仙台駅よりも東側は戦時中も爆撃を余り受けなかったため「焼野原」化しなかったこともあり、前近代の建物や街並みが(大規模な爆撃を受けた)西側に比べより残っています(なお、西側でも大崎八幡宮周辺などは焼け残っており、往時の建物・街並みが割と残っています)。

 

その中でも興味深いのが、「墓地」の配置についてです。

 

西側では、仙台市中心部といえるような場所には墓地がなく、中心部からはやや外れた地域に配置されています。

 

例えば、JR仙山線北山駅界隈などがそうですが、近世〜近代初頭には仙台市街の外れに近い地域であったり、あるいは仙台市街には含まれなかった地域に集中して寺院や付属の墓地があります。

 

つまり西側では、墓地は一種の「ネクロポリス」的なものになっているわけです。

 

一方、東側では仙台駅により近い場所でも、様々なオフィスや店舗、民家(マンション)などと寺院や付属墓地が入り乱れて配置されています。

 

つまり東側では墓地はネクロポリス化していない傾向にあるわけですが、このことを西側と対比しますと、明らかに西側と東側は「墓地」が異なる思想によって位置付けられていると解釈できます。

 

なぜそうなのかは、私はまだ知りません。しかし大変興味深いので、注意して見ていきたいものです。