せっぱつまりこ’s blog

宮城県仙台市及び近郊を中心とした、東北地方の様々な情報について書こうと思います。

幻の磁器「切込焼」について(完結編)

随分間が空いてしまい申し訳ございませんが、現在の宮城県加美町に伝わる伝統工芸品の一つである磁器の「切込焼(きりごめやき)」についての記事を、ようやく完結させようと思います。

 

なおお断りしておきますが、今回はどちらかというと近代日本の工芸史寄りの内容が多く、東北の歴史や文化とは余り関係がないくだりが中心に出て参ります。ですから、東北の歴史・文化についての記事を期待しておいでの方は、今のうちにそっ閉じされることをお勧めします。

 

明治時代の極めて初期、切込焼の歴史は一度断絶してしまいました。

 

伊達家による統治の時代が終わったことや、切込焼職人コミュニティの間でも長老や経済的支援者たちが次々に亡くなったことなども、切込焼の衰退を早めてしまった要因でもありました。

 

しかし、大正時代の後半に加美町の事業家たちによって、切込焼は短期間ではありますが再興しました。結局昭和初期の世界恐慌のために衰退してしまいましたが、海外への輸出も視野に入れられた壮大なプロジェクトであったもようです。この時期の作品を、特に「大正窯」と呼びます。

 

そもそも大正時代〜昭和初期頃は、それまでは現代でいうテクノロジーの領域で扱われ、公募展なども美術ジャンルでなくいわゆる商工展の一環として行われていた陶磁器やその他様々な工芸が、「工芸美術」という新しいカテゴリーの美術として扱われるようになった時期でもありました。

 

又全国的にみても、昭和初期頃には桃山時代〜江戸初期に栄え、その後長くロストテクノロジーとなっていた陶芸である「志野」や「織部」「唐津」などが、陶芸家有志によって復興されています(現在いわゆる伝統的工芸品として著名な陶磁器の中には、一度長くロストテクノロジー化していた歴史があり、この動きの中で復興されたものも案外多くあります)。こうした動きも、大正期の切込焼復興の背景としては見逃せません。

 

<参考文献>

切込焼記念館 - 加美町

木田拓也『工芸とナショナリズムの近代 「日本的なもの」の創出』吉川弘文館、2014