幻の磁器「切込焼」について(2)
少し日が開いてしまいましたが、現在の宮城県加美町に伝わる伝統的工芸品である「切込焼(きりごめやき)についての話の続きを書きます。
前回の記事の末尾で、切込焼が幕末〜明治初期に衰退したということに言及致しました。理由には幾つかありますが、中でも大きな理由としては矢張り明治維新による廃藩置県によって、切込焼生産をバックアップした伊達家による統治の時代が終わったということが挙げられます。又切込焼職人のコミュニティや彼らの周囲でも、最盛期の頃から活躍した経験豊富なリーダーが亡くなったり、彼らを経済的にバックアップした豪商が亡くなるなど、頼れる人々が次々に寿命を迎えたことも重なりました。
そうした中、明治直前の慶応年間には、切込焼の藩による直営窯が現在の仙台市内の北六番丁(JR仙山線東照宮駅の南側)に移ったことがわかっています。その理由は不明ですが、(これは私の想像ではありますが)この地域から余り遠くない場所(JR仙山線及び仙台市営地下鉄北仙台駅の近く)にこれ又伝統的工芸品の一つである「堤焼(つつみやき。陶器や土人形が作られています)」の拠点があることとも、無関係ではなかったと思います。
又、藩主が実際に切込焼工房を訪れて直接に多数の器を注文した記録もあり、丁度時代的にも伊達家による統治が終焉を迎えようとする中、藩主と御用達工房がより結束を強めようとした故にこそ、わざわざ加美の切込から遠く離れた北六番丁に移ることになった可能性も、無視できません。
この藩直営窯の北六番丁移転や藩主との結束の強化によって、切込焼には新しい可能性が開けた-と言いたいところではありますが、先述のように結論からいうと、切込焼は衰退していって事実上一度断絶してしまいます。
そうした衰退による一時断絶〜現代に至るまでについて今回書く予定でしたが、文章が長くなってしまいますので、(3)に後回し致します。
<参考>
幻の磁器「切込焼」について(1)
どうも皆様、少々ご無沙汰でした。
ところで、これはいわゆる日本スゴイ言説などでもよく利用される言説ですが、「日本では前近代から現代に伝わって、現在も現役で使われている伝統的な技術が多い」とよくいわれています。
しかしながら、実際にはそうした「前近代から現代に伝わり、現役を続けている伝統的な技術」の陰では、途絶えている(あるいは前近代からずっと現役だったように見えるが、実際には一度ロストテクノロジーとなり比較的新しい時代に復活した)伝統的技術も結構あります。
宮城県に伝わる焼き物(磁器)の「切込焼(きりごめやき)」も、まさにそうしたロストテクノロジーとなった歴史を持つ伝統的工芸品です。
切込焼は、現在の宮城県加美町の「宮崎」地区の「切込」という地区で作られてきた、要するに地名に由来する名を持つ焼き物です。
先日、さるバスツアーでこちら
http://www.town.kami.miyagi.jp/index.cfm/11,0,70,169,html
に行って参りました。こちらの館内は撮影禁止ですのでその切込焼の写真はないですが、グーグルなどの画像検索で「切込焼」と入力して検索して頂きますと、白地に青で絵付けされたものを始めとする魅力的な作品が多くヒット致します。
この切込焼は、一説には仙台藩祖伊達政宗が始めさせた産業だという説もありますが、信憑性は極めて薄いようです(こうした「政宗起源説」については色々な物事について語られているので、後で書きたいと思います)。実際にははっきりとした始まりの時期は不明ですが、恐らく江戸時代の終わり頃に起こったとされています。天保時代の終わりに最盛期を迎えていますが、幕末期〜明治初期に衰退しました(この衰退期についてや、大正期の復興運動については(2)で書こうと思います)。
2017年の仙台青葉まつりの簡単レポ
去る5月20日・21日には、仙台市で仙台青葉まつりが開催されました。両日とも、天気に大変恵まれ(むしろ暑いくらいでした)、大盛況のうちに無事閉幕致しました。
今年は仙台藩祖伊達政宗生誕450周年記念の年であることもあり、大変賑やかな2日間でした。青葉まつりは政宗の命日(丁度今頃の時期だそうです)に行う祭礼としての側面もあるため、その日時に近い土日に開催されます。
20日「宵まつり」の夕方の定禅寺通りです。
このように灯りがつき、すずめ踊り(どんな踊りなのかご興味のある方は、「すずめ踊り 仙台」でネット検索することをお勧めします)などが行われました。
21日の「本まつり」ではいわゆる「時代巡業絵巻」及び「山鉾巡行」と呼ばれる大行列が、東二番丁通り〜定禅寺通りで行われました。
これはまさに青葉まつりの目玉ともいうべき行事で、私も仙台に移ってから毎年大変楽しみにしております。
慶長遣欧使節ご一行です。東日本大震災後、支倉常長ら慶長遣欧使節が(東北地方を中心に)再評価され始めたこともあり、彼らは2013年度から(若干うろ覚えです。すみません)時代巡業絵巻に登場しています。このように「政宗の周囲の人物で、丁度注目されている人物」が題材にどんどん取り入れられるのも、青葉まつりの時代巡業絵巻の醍醐味です。
山鉾巡行も見逃せないですが、こちら
は中でも私が特に気に入っている山鉾の一つ「政宗公兜山鉾」です。
なお山鉾巡行に登場する山鉾は、青葉まつりが近付くと仙台市中心部のアーケード街(ここには藤崎百貨店などデパートも隣接しております)に並びます。その時の写真は、こちら
です。いかにも伊達文化の華といった雰囲気です。
以上、まとまりがないですが今年の青葉まつりについての記事でした。
仙台市及び近隣自治体の人々にみられる独特のアクセントについて
ところで他の地方から仙台にいらっしゃった方の中には、地元の方たちによくみられる独特のアクセントを持った言葉にお気付きになる方もおいででしょう。私も始めの頃は、違和感や誤解があったりして結構苦労致しました。
どのようなアクセントかと申しますと、話をしている途中で、疑問ではないのにあたかも半疑問形のような語尾の上げ方をするアクセントです。20世紀の終わり〜21世紀の極めて初めに、私が利根川のほとりに住む現役女子高生だった頃(年齢がバレてしまいました(笑))に若者、特に女子学生に流行したいわゆるコギャル語にも若干似ています。
例)
「今日は休みだったので、仙台城に行きました」
この例文を、一見
「今日?休みだったので?仙台城に?行きました」
のような印象を受けるようなイントネーションで発音することがよくあります(この例は、さすがにやや極端な例ですが)。
仙台市及び近隣自治体では、字面上でいわゆる仙台弁を日常的に使う方は実はかなり少なく、彼らの話す言葉を文字に起こした限りでは、非常にいわゆる標準語的な言葉遣いがされています。特にある程度若い(とはいっても戦後生まれの方という意味合いですので、それなりに高齢の方も含みますが)方にはそれが顕著です。
ですから、このアクセントのことを知らないと一見「ふざけた」言葉遣いをしているかのように誤解してしまう可能性も、皆無ではないです。そうしたことを少しでも防ぎ、相互理解をスムーズにするためにこのブログ記事が非常に微力であっても役に立つことを、願っております。
【速報?】東北絆まつり開催について
どうもこんにちは。ゴールデンウィークも終わってしまいましたが、仙台の盛り上がりはこれからが本番です。
5月20・21両日は今年の仙台青葉まつり
です(それについては、青葉まつり後にこちらで書こうと思います)が、今年はその後の6月10・11日に、仙台市で第1回東北絆まつり
が開催されます。
東日本大震災直後の2011年7月(なお当時は、私はまだこちらに住んでいませんでした)に仙台市で第1回東北六魂祭が開催され、それから東北地方の各県の県庁所在地で六魂祭が開催されてきました。
昨年(2016年)で六魂祭が各県を一巡し終え、その後どうなるのかと私も期待と不安に満ちた思いで見守っておりましたが、今年このような形で“進化”?して開催されるということを、大変嬉しく思っております。
ここからは私個人の勝手な話でございますので、苦手な方やご興味をお持ちでない方はそっ閉じをお勧め致します。
私が六魂祭時代から楽しみにしているのは、青森ねぶた祭りです。何せ第1回の六魂祭のねぶたは、今までにないタイプの伊達政宗(下のリンク先サイトに、当該ねぶたの写真がございます)
復旧・復興への歩み -皆さまの支援を力に、復興を加速- (平成23年7月)|仙台市
でした(片肌脱ぎの平服姿で武力や権力を象徴する持ち物を極力持たない(例の兜は「伊達政宗である」ことを示す持ち物(西洋美術用語では「アトリビュート」といいます)と言った方が良さそうです)政宗像は、まさに今までになかったタイプです。民主的平和的なイメージで、私にとっても好感が持てます)ので、それ以降ねぶたに関心が俄然湧いて参りました。できれば、こちらでもねぶたの魅力について大いに語りたいものです。
#東北でよかった の危険性
前回の記事を書いた後に、私はツイッター上でこんな発言を読みました。
私の住む宮城県では、このポスターが貼られまくっている光景は(神社は知らないですが)まだ見ないですが、矢張り不気味な印象を受けました。
そうした不気味さの一つとして、例のまとめの中でも何人か言及しておいでの方がいましたが、「日本人」でない人々をを切り捨ててしまう危険がある、ということが挙げられます。そしてここでの「日本人」は、「今日の今の時点で日本国籍を有する人々」という意味だけでなく、もっと狭く偏った意味合いがつきまとうものであり、より差別的排他的な意味合いになっています。
又、「日本人」像(というか「望ましい日本人」「あるべき日本人」像)を過度に画一化させ、そこから外れた(とされる)「日本人」を排除したり、“逸脱者”とみなして攻撃したりといったことも助長する危険があります。
今回の「#東北でよかった」ツイートも、場合によってはこの路線を辿る危険があります。実際、中には「出身が#東北でよかった」的な、「非東北出身者(私も「非東北出身者」です)」を締め出しかねないセリフがあるツイートも散見されました。私はそれを、矢張り少々恐ろしく思いました。
これは東北地方に限ったことではないですが、「日本人」という大きな主語での語りや「日本(人)スゴイ」言説には批判的な方の中にも、「○○(地方)人」という大きな主語での語りには全く無批判であったり、場合によってはご自分でもそんな大きな主語での語りをしてしまうことがあるため、自戒も含めて注意したいものです。